母の善意とガールスカウト
私が小学校3年生の頃、学校でなかなか友達ができなかったらしく、母がえらく心配していたそう。
当時の担任に相談したら、ガールスカウトに入ることを勧められたそうで、その後、私は母からほぼ強制で入会させられた。
私自身は友達ができない事やうまく友達とやっていけないことに特には悩んでいなかった。
と言っても、当時の記憶があまりないのだが。
ただ母はそんな私が心配で、なんとかしてあげたいと思っただけなのだろう。
入会金や月謝や制服諸々…すごくお金がかかったと思う。
一年ぐらいで退会したような記憶がある。
ガールスカウトでの体験が全て無駄だったとは思わないけれど、
それならば、私が習いたかった剣道を習わせてもらいたかった。
もし、剣道を習っていたら、内面からもっと強くなれたかもしれない。
心と身体はつながっているから。
ガールスカウトの一件は母の善意からだった。
私は全く入りたくなかったし、完全にズレてはいたけれど…
今は母が心配してくれた気持ちも充分に理解できる。
やりたくない事を無理にさせてもエネルギーが消耗するだけで、やりたい事をさせてあげた方が楽しいし、それは後々身になるはずだから。
この体験は自分自身の子育てで反面教師にしている。
こんなちっぽけな自分でも影響力がある
誰もが一度は思ったことはないだろうか?
自分なんて無力でちっぽけな存在だ。
自分には何の影響力もない。
自分なんて何の価値もない人間だ。
恥ずかしながら、私もそう思ったことのある1人なのだけど。
最近、気づいた事は
自分が意図してないところで、
人を傷つけたりすることもあるし、
人を元気づけたり励ましたりすることもある。
こんなちっぽけな自分でも他人にものすごい影響を与えてるのだ。
これからはしっかり意図しよう。
私は人に良い影響を与える存在である。
今、この瞬間から心がけていこう。
自分の本心と向き合う
ここ数年、人間関係で悩んでいた。
最初に言っておくと、
相手側には全く何の非もないし、逆にとても良くしてもらっていたぐらいなのに、会えば気を使うし、話す話題もないからすごく疲れる。
一時期は交流を深めようとしたが、さほど深まらず…疲労感しかなかった。
全く違う世界に住んでいるような感じでエネルギーが交わらないというか、同じ空間にいても一緒にいない…みたいな感じがすごく苦しかったー。
だから、こんな理由で私はできれば会わないようにしたいと思っている。
良くしてもらっているのに、こんなこと思う自分を責めてしまうし、世間一般では最低限の付き合いはするもんだとマインドは言ってくる。
本心の本心はどうしたい??
それはすでに決まっている。
相手側からも世間的にも嫌われても仕方ない。
今は自分が心地よい選択をしたいと思う。
お金と働くことについて②
①からの続きです。
お金を得るためには努力して汗水流して働かなければならない。
私はこの呪縛から解放されたいと思いながらもまたこの思考に戻ってしまうことを繰り返していたつい最近の話。
短期パート先で知り合ったベテラン先輩のAさん。
高校生と小学生の子供さんがいる彼女はダブルワークをしている。
休憩時間の話題によく求人の話が出ていた。
時給や条件の良いパート先ってないのかなーって、口癖は『だって、お金がいるもの。お金がいるから働いているのよ。』だ。
もちろん、その言葉を聞くと私も共感したくなるのだが、どうしてかモヤモヤする。
好きで働いてるんじゃない、お金のために頑張ってる彼女に対して、側から見ると全く楽しさを感じないからだ。
彼女からその話題を聞くと私の身体がなぜか硬くなる。
彼女の概念には、お金=努力して手に入れるもの。の方程式がしっかりあるのだろう。
私もやっぱりその概念を持っている。
でも、
彼女を見ていると、
働く時間を増やすことでお金をより多く稼ぐ方法しかないって思ってしまうのだ。
そして、それは決して軽やかなエネルギーには感じない。
だから私は辛くなる。
他人を通して見えてくる自分の概念。
それを見せられて辛くなるのなら、手離すタイミングなのだろう。
私はどうありたい??
そのヒントが最近私がハマっているとあるYouTubeチャンネルの動画にあった。
豊かさ=努力とは関係ない。
言われてみれば確かにそうだ。無意識にこれを結びつけてしまいがちではある。
(お金がたくさんあることが豊かさだとは言い切れないけど。)
仕事の中に喜びや楽しさを見つけること。
私は仕事を楽しみたいし、楽しみながらお金を得たいんだなぁーと気がついた。
お金は必ず自分で稼がなくても良いし、人からもらっても良いのだから!
他人と関わることで自分の本心が見えてくる印象的な出来事だった。
お金と働くことについて①
生きるのにはお金って必要なものである。
私の40年あまりの人生を振り返ってみると、なんだかんだいってもお金に恵まれてきて今まで生きて来れた。
子供の頃は両親が仕事をしてお金を稼いでいたから、ちゃんとした生活はできていて特に困ることはなかったし、
専門学校はお金を出せないからって言われて諦めたけど、今考えたら行かなくてよかったと心底思う…人生うまいことなってるものだ。
高校を卒業すると両親は離婚。
私は母と暮らすことになり、たまたま正社員で就職できたのでなんとか2人で生活して来た。
数年後、母が再婚後は一人暮らしを始めたが、ここぞと言う時は母が助けてくれたり、養父が援助してくれたり…正社員で働き続けれたことで何不自由ない生活ができていた。
今振り返ったら改めて凄いなぁって思う。
独身時代はお金の不安は全くないが、生涯の伴侶パートナーに出会えてないことに不足感を感じていた。
会社員は10数年続けたが、安定しすぎて未来も見えなくてマンネリにもなって、大きなミスもたくさんしたし、生意気だったし、よくクビにならなかったなーって思うけど、自分に合った仕事で人間関係も悪くはなかったから続けて来れた。
私って本当に守られていたし恵まれていたんだな。
そして、良きタイミングで結婚。
養父がいなかったら今のパートナーとは出会えなかった。
母の再婚も必然だったのだと思う。
妊娠、出産を機に会社を退職したけど、結婚後数年はパートナーのお給料と私の会社員時代の貯金で住む場所も食べるものも、おまけに自分の欲しいものややりたいことをできる余裕があった。
しかし、数年後…貯金が底をつく。
ある時すごいタイミングで思わぬ所からお小遣いをいただけたり、私の家計管理がどんぶり勘定過ぎて危機を感じ、パートナーには内緒で何度か両親からお金を支援してもらう。
個人事業主として、自分でサービスを作って提供してみたり、メルカリに不用品を出品してみたりで少額ではあるが稼いだこともあった。
それでは不安定過ぎるので短期パートに出てみたりもした。
なんだかんだで、結婚してからは自力と言うより夫に養ってもらって今の安定がある。
これ以上の安定ってないのではないだろうか。
私の本能的なところでは、生きていくためにお金を稼ぐ能力や自分がそれをしなくても金運的なものに凄く恵まれているんだと思う。
10代までは主に親に守ってもらい、
20代も親、あとは自力で稼いでいた。
30代からはパートナー、親、国や自治体(子供がいることの恩恵)、自力が少し。
今もなんとかなってはいる。
しかし、お金を得るには頑張ってとか努力して手に入れなければ、、という呪縛からそろそろ解き放たれたい。ある人との出会いがキッカケで気がついた自分の本心とは…
パート2に続く。
人のせいにするのをやめる
2022年あけましたね。
大晦日の日には2022年をどんな年にしたいか、自分の理想や目標などを手帳に綴ったりしていました。
書くことで自分の頭の中や気持ちが整理できます。今までは時々しか手帳に書いたりしていなかったので、今年は自分の内面の整理のために書き出すことを習慣にしたいと思います。
さて
こちらのブログにも書いていましたが、昨年末に自分的にやらかした出来事があり、自分の中での自己嫌悪の嵐が吹き荒れまくりましたが、それも一瞬ですぐにフラットに戻ることが出来ました。
今回の一件は色々と突き詰めていくと母との関係性から来ているものだったのですが、幼少期から私が生きづらかったのは母のせいだ。
何十年も深い部分でそう思っていたようです。
わざわざ過去にフォーカスして、あの時ああなったのは母のせいだ。
母があんなじゃなかったら、そんな事起こってなかった。
出てくるのは、『たられば』ばかり。
そろそろ、人のせいにするのをやめたら??
ある時、ふと、そんな声が自分の中から聴こえてきました。
ああ、、ずっと母のせいにしていたから辛かったんだな。
もう人のせいにするのをやめよう。
そう心に決めた2022年の元日でした。
自分の中の闇を見つめる
こんにちは。
明日は大晦日。
2021年ももうすぐ終わります。
昨日、自分ごとでやらかした出来事が発覚しました。自分の軽はずみな行動で、知らず知らずのうちに他人のことをすごく傷つけていたんです。
し、しまったーーーーー。。
ほっぺたを引っ叩かれたような衝撃でした。
それからは自己嫌悪の嵐で昨日は、自分のやってしまったことに対して一日中倒れ込みたくなるような心境でした。
自分の軽はずみな行動はただの『悪意』でしかなかったなぁ。
いつも親切にしてもらっていたのに、心の奥底では無下にしていたことが走馬灯のように蘇ってきました。
すごく性格が歪んでいるな、私。
そんな自分が恥ずかしくてただただ胸が苦しいです。
自分の中の闇を見つめる。
しっかり自分自身と向き合って過ごしたいと思います。